看看日本人拍的日本人屠日影片

什么时候能看到支那人拍的道县支那人图纸影片呢?
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分享 2024-04-07

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这是日本现实发生的福田村事件
电影是2023年拍的,正好关东大地震100周年,也是这起惨剧的100周年的纪念。

事件发生当年有着非常强烈的反朝鲜的运动,而且
関東大震災の当日・翌日には、関東各地の警察が「朝鮮人に気をつけよ」「夜襲がある」などと、

官の側から流言蜚語をまき散らしたとされる結果

关东大地震当天和第二天,关东各地开始各种宣传【小心朝鲜人】【有夜袭】的官方谣言。
而酿成了福田村的惨剧。

下面的资料转自日文维基。翻译是我自己翻的。

福田村事件


1923年(大正12年)3月に香川県を出発していた売薬(当時の「征露丸」や頭痛薬、風邪薬など)行商団15人は、関西から各地を巡って群馬を経て8月に千葉に入っていた。

1923年(大正12年)3月从香川县出发的卖药(当时的征露丸,头痛药,感冒药)的商队15人,从关西开始去了很多地方经过群马于8月来到了千叶。

9月1日の関東大震災直後、4日には千葉県にも緊急勅令によって戒厳令の一部規定が適用され、同時に官民一体となって朝鮮人などを取り締まるために自警団が組織・強化され、村中を警戒していた。『柏市史』によれば「自警団を組織して警戒していた福田村を、男女15人の集団が通過しようとした。自警団の人々は彼らを止めて種々尋ねるがはっきりせず、警察署に連絡する。「ことあらばと待ち構えていたとしか考えられない」という状況だった。

9月1日关东大地震后很快,千叶县于4日也因为紧急法令而开始使用一部分戒严令的规定。同时为了管理官民一体的朝鲜人,组织并强化了自警团,对村子进行了戒严。根据[柏市史]记载,由自警团戒严的福田村,有15名男女要路过。自警团拦下他们进行了各种讯问但还是没搞清楚,而向警察局联络。
当时的状况只能认为这是在预备可能发生什么事情。


生き残った被害者の証言によると、関東大震災発生から5日後の1923年(大正12年)9月6日の昼ごろ、
千葉県東葛飾郡福田村(現在の野田市)三ツ堀の利根川沿いで、「15円50銭」などと言わせ、休憩していた行商団のまわりを興奮状態の自警団200人ぐらいが囲んで「言葉がおかしい」「朝鮮人ではないか」などと次々と言葉を浴びせていた。福田村村長らが「日本人ではないか」と言っても群衆は聞かず、なかなか収まらないので駐在所の巡査が本署に問い合わせに行った。この直後に惨劇が起こり、現場にいた旧福田村住人の証言によれば「もう大混乱で誰が犯行に及んだかは分からない。メチャメチャな状態であった」。生き残った行商団員の手記によれば「棒やとび口を頭へぶち込んだ」「銃声が2発聞こえ」「バンザイの声が上がりました」。駐在の巡査が本署の部長と共に戻って事態を止めた時には、すでに15人中、子ども3人を含めて9名の命が絶たれており、その遺体は利根川に流されてしまい遺骨も残っていない。かけつけた本署(松戸警察署野田分署)の警察部長が、鉄の針金や太縄で縛られていた行商団員や川に投げ込まれていた行商団員を「殺すことはならん」「わしが保証するからまかせてくれ」と説得したことで、かろうじて6人の行商団員が生き残った。

根据幸存者的证词,关东大地震发生的5天后1923年中午,千叶县东葛饰区福田村【现在的野田市】,沿着三堀利根川河,商队被200多人的自警团所围住被要求说“15日元50钱”【这里应该是要听发音】,被质问你们的的日语很奇怪,不会是朝鲜人吧。即使福田村村长说他们不就是日本人吗,但是群众并没有听。因为事态无法控制,当地的警官向本部寻求意见。而在那之后立马发生了惨剧,根据当时现场的福田村人描述,当时非常的混乱已经搞不清是到底是谁犯的案。
根据幸存者的笔录,被用木棒和农具殴打头部,听见了2声枪响,还有呼喊万岁的喝彩。
等当地警官和本部部长来阻止的时候,包括3名孩童的15人中已经有9人死去,其尸体也被扔进利根川河不见踪影。赶来的本部警长的极力说服与劝阻下,才勉强保住被用铁丝捆绑准备扔进河里的剩下存活的6名药商的性命。



解释一下我翻译资料里面的“15日元50钱
这是当时用来区别朝鲜人的决定命运的词汇。
因为朝鲜语特征是开头的浊音不发音,
也使得当时很多秋田和冲绳人因为说不了普通话
被当做朝鲜人杀害。
甚至还有一些听力障碍者也因为很难听取和发音而被当成朝鲜人杀害。
格局小了
支人都是來真的
誰跟你拍假的
事件の詳細は今なお明らかではないが、「行商団一行の話す方言(讃岐弁)が千葉県の人には聞き慣れず、ほとんど理解できなかった」「千葉県の人との意思疎通の際に話す標準語も発音に訛りがあり、流暢でなかった」などを理由に朝鮮人とみなされ、一連の事件が起こったとの証言がある。当時22歳で生き残った行商団員が残した手記や、当時14歳の行商団員の証言でも、地元の船頭との言い争いの中で「どうもお前の言葉は変だ、朝鮮人と違うのか」と言われて自警団が集まってきたとされる

事件的细节现在还没有辩明,但是,商团使用的方言【赞岐话】千叶人没怎么听过,几乎无法理解。为了能和千叶人交流说的普通话发音不标准,不是很流畅等理由,被认为是朝鲜人而导致事件的发生。

根据当时22岁和14岁的商队幸存者的记录和证词,和当地船头发生争执的时候,被说“你们的日语很怪,是不是朝鲜人”,听到这句话自警团才围过来的。

検挙されたのは、現場の福田村の自警団員4名および隣接する田中村の自警団員4名。
被检举的是福田村自警团的4名团员和邻村田中村的4名自警团团员。

この8名が騒擾(そうじょう)殺人罪に問われたが、被告人らは「郷土を朝鮮人から守った俺は憂国の志士であり、国が自警団を作れと命令し、その結果誤って殺したのだ」と主張しており、また、当時の予審判事は、裁判の前から「量刑は考慮する」と新聞に語っていた。他方、彼らが検挙された頃、田中村の会議で4名の被告人に「見舞金」の名目で弁護費用を出すことを決め、村の各戸から均等に徴収している。

八名被以骚动杀人罪问处,但是被告人主张我们是为了从朝鲜手中保护老家的志士,是国家命令创建的自警团,所以才误杀的。而且当时预判的法官在判决前已经向媒体反应要斟酌量刑。一方面,在他们被检举的时候,田中村的会议决定以给慰问金的名义给4名自警团团员辩护费用,从每户村民均等的征收这笔费用。

判決は、田中村の1名のみ「懲役2年、執行猶予3年」の第二審判決を受け入れたが、あとの7名には大審院で懲役3年から10年の実刑判決が出された。しかし、受刑者全員が、確定判決から2年5か月後、昭和天皇即位による恩赦で釈放された。事件について調査を行った石井雍大によれば、出所した中心人物の一人は後に、選挙を経て村長となり、村の合併後は市議会議員を務めたという。

最终判决是,田中村只有1名团员有期徒刑2年,缓刑3年执行,其他7名为有期徒刑3年到10年。
而确定判决的2年五个月后,昭和天皇继位,大赦天下而被释放。
根据石井雍大的事件调查,被释放的人中有一位经过选举成为了村长,村子合并后还担任了市议员。
在亂世如果連最基本的普通話都說不好,可能也會遇到這樣的情況,特指那些拿方言自以為榮的群體。

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